真空管ラジオで、並四ラジオは何故こう呼ぶかご存知ですか?。
大昔
真空管が3極管しかない時代の高級4球受信機が、技術革新でペントード(5極管)
ができると、
並みの球(3極管)を4本使った受信機と言う事になり、並四と呼ばれるようになったのです。
昭和7〜8年頃と推定されます。
27 26B 12A 12B等(227 226
112A 112B等) が代表的な構成です。
ペントードを使った受信機は3ペンとか4ペン(現在の高1相当)とか呼ばれました。
したがってそれ以前には並四と同じ構成の受信機はあっても、並四とは呼びません。
時代が変わると最新の機械もすぐ普及品になってしまいます。
何か現在のパソコンの改良の激しさを思わせるようです。
なお「並」を普通と解説している記述も有りますが、これは間違いでは有りませんが、
正確な表現では有りません。
参考記事を見つけましたので追記します(2001年1月28日)。
参考資料
ラジオ基礎知識 根岸 巌著 誠文堂新光社 昭和28年発行 11頁を参照(下記)
昭和7〜8年頃から、ペントードが作られるようになると、それまで一世を風靡した3極管は並みの球になりました。
これを切っ掛けに3極管を使った4球受信機は並四と呼ばれるようになりました。
代表的な真空管は下記の構成です。
227 226 226 112B
27 26B 12A 12B
27B 26B 12A 12Bなど
代表的な並四受信機
シャープ並四 442
シャープの並四 27A 26B 26B 12Bです。
http://radiokobo.sakura.ne.jp/G/repair/sharp442.htmに修理体験記があります。
第2世代並四(国策型)受信機の回路例
昭和12年頃になるとペントードも一般化し、切れやすく高い、低周波トランスを節約する為、
57等のペントードを検波管に使った4球ラジオも並四と呼ばれるようになりました。
これが第2世代の並四です。
代表的な構成は57 26B 12A
12Fや57 56 12A 12Fです。
並は標準の意味もありますが、多少見下げた言いかたのようで、戦前のラジオ雑誌には、
殆ど記載がありません。ラジオ屋さんの隠語?だったのでしょうか。
この頃の雑誌には国策型という呼び名が一般です。
低周波トランスが無いので、故障が少なく、音も少しは良くなったようです。
昭和26年発行のラジオ技術の増刊6号には3極管トランス結合の並四を旧並、
5極管検波の並四を新並と説明しているNHKの巡回サービス技術員の記事が有ります。
この頃までは並四も厳密に区別していたようです。
このページの「第1〜3世代」と言う前置きは、区別の為、仮につけた名前です、誤解の無いように。
ナショナルの4M−1
真空管は57 26B 12A 12Fです。
製造時期は昭和14年頃ではと推定しています。
使われている真空管と内部の構造から想像し、資源節約の国策型受信機の初期のタイプと思われます。
http://radiokobo.sakura.ne.jp/G/repair/4M-1.htmlに修理体験記があります。
戦前のコイルは殆どが自作でした。
この当時の製作記事を見ると、コイルの自作データーが必ずと言っていいほど記載されています。
戦後コイルは既製品が出回るようになりました。
春日無線等は長野県でコイルを作って、終戦後東京で販売していました。
[トリオ」の名前で親しまれた春日無線の始まりです。
最もアマチュアーに使われていたのは「スター」印の富士製作所でしょう。
これらのメーカーが並四用のコイルを作って盛んに売り出しました。
戦後20年代後半から30年代になると、この並四コイルを使ったラジオは並4、並3ラジオと言われるようになり、並が高周波増幅無しのストレート受信機を意味するように
変わりました。
したがって戦前なら3ペンと呼んでいた、6C6
6ZP1
12Fの構成を並3と呼ぶようなりました。
これが第3世代とでも呼べるのでしょうか。
若い人はこの時代か、それ以降の経験で並四を呼んでいるので、名称が混乱する時があります。
ところで、並四という言葉は戦後の雑誌に突然洪水のように現れます。
それも皆が当然知っていると言う表現で現れるのが不思議です。
若しかしたら、「国策」という言葉を戦後使いたくなかったので、並四が市民権を得たのでしょうか?。
戦前の雑誌には
なぜ殆ど出てこないのでしょう??。
こんなわけで、並四は時代によって少し違います。
戦前のラジオを呼ぶ時は時代に合わせて、呼んでやってください。
もっとも昭和16年以前のラジオはラヂオと書くべきでしょうが。
現在のラジオは昭和16年頃からこの表記になりました。
ここに収録したものは50年以上前に公表され、著者名が団体か無署名の記事から抜粋したものです、
したがって、第3世代の回路図は残念ながら有りません。
昭和14年頃
戦争の影響で物資不足が予想され、従来の贅沢な設計ではラジオの生産が続けられぬと考えたメーカーが、国策に協力するという事で名づけた国策受信機が続々発表されました。
放送局型受信機(1号と3号)が比較的贅沢な設計になっていたので、この代わりの意味もありそう。
国策X号と言うのはメーカーがつけた名前で、特に規格云々は有りません。
メーカーにとっては、東亜、躍進、など勇ましい名前のものも。
この他、カタログで見ると、メロデイ国策1号(24B−26−12Aー12F)、メロデイ国防1号(56ー26ー12Aー12F)、愛国2号(24ー26ー12A−12F)、愛国4号(57ー56ー12A−12F)など沢山な並四があります。
お国に協力しないと資材の割り当てすらままならぬ時代に突入しつつあった。
平成13年1月28日更新
2009年10月12日:5,406 写真をついかするとともに内容を一部 編集 追記した。
2014年12月27日OCNのホームページサービス停止により http://www31.ocn.ne.jp/~radiokobo/から こちらに移転しました。
2015年1月14日:26,441
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