NHK新郷放送所跡を訪ねて

昭和初期のNHK放送所跡を訪ねる機会がありました。
田口達也さん宮川邦明さんと小生の3人で特別参加(?)させていただきました。
平成14年4月7日。

愛宕山の送信所から最初に引っ越したのが、ここ新郷放送所です。
昭和3年5月20日から10KWの大電力放送が開始されました。
電波も375m(1KW)から345m(10KW)に変更された。
この敷地は現在 文化放送の送信所になっています。
旧局舎は民間放送開始時 文化放送の施設になり、
現在は倉庫として使われているようです。



ラジオの日本 昭和3年2月号
画像が薄いが、3月中に運転予定と書かれている。

下段は「JOAKの新郷大放送所」と記載。

上の写真と同じ方向から見た図。


車寄せがある方の逆方向からの写真。
左側のレンガ色の建物は現文化放送送信所。

戦時中 空襲を避けるためここに隠蔽放送局が作られた。
(地下室に送信所)
昨年8月半世紀ぶりに発見されたもの。
今回特に見せていただいた。



内部も見学できました。
ここから入ります。

隠蔽放送局について
手元にあったNHK福岡放送局史(昭和37年2月発行)を見ていたら、福岡にも計画されたとの記載を見つけた。
「場所は平尾の丘陵下で、丘の上に30mの空中線も張られた。
現用機を8月14日放送終了後移設、15日朝から放送開始の予定だった。
生憎この日が博多の盆だったので延期したが、15日が終戦で引越し中止となった」との記載あり。
学生時代1年半この平尾の「丘陵の上」に下宿していたので、なるほどとうなずけるところはある。
下宿の屋根から福岡市内が良く見渡せた。
ここから電波を出せばよく届いたでしょう。
(2003年2月3日追記)

文化放送前の広場で昼食。



今回は珍しいものを見せていただきましたが、
人との出会いも感激的でした。
昭和30年頃電波科学の編集委員を兼務されていた
島山さんの話が聞けました。
96歳だそうですが、話の内容は明確で、とにかく驚きました。
後方はNHK放送博物館中田館長。
島山さんは明治専門学校(現在の九州工大)をでて
当時の日本放送教会に入り、
主に送信機の開発をされた方です。
戦時中はここ新郷工作所に勤務されていたとの事。
我々の年代になると同じ事を繰り返す
壊れたレコード状態に良くなるのですが、
理路整然、神様は96歳でも凄いです。


今年は桜の開花が一段と早く、4月7日では無理だろうと思ったが、
見事残っていました。
遅いお花見も出来ました。

旧川口送信所跡に建設中のNHKアーカイブ他。
中央の鉄塔はNHKのラジオ送信用(予備)。
この鉄塔は非常用に準備されたもので、
先月(14年3月)まで使われたとの事。
偶然この搭からの最後の電波を受信した。
(JOAK 10KWで深夜放送時間)

なおこの鉄塔は現役時代の鉄塔ではない。








旧川口送信所跡のNHK放送博物館倉庫。
公開されているわけではないのですが、
綺麗に整理されていました。


2002年4月19日

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