工房の主(ヌシ) 内尾 悟
中津市(九州)で生まれ、育ちも中津。大学時代は4年間福岡市平尾と箱崎に。
賑やかな商店街で子供時代を過ごす、隣がラジオ屋さんだったので憧れたが、結局サラリーマンに。
学生時代の昭和33年にJA6ABWを開局、807パラレルで出力40W、変調は807PPで当時としては快適に交信できた。
その後仲間とJA6YADを開設。
日立製作所に入社、杉並の独身寮でJA1IYC局を開局するも電波は出していません、電波は学生時代のみ。
東京はアンテナの設置が泣き所です。
会社での仕事は入社以来コンピューターのエンジニアーでした。
平成9年に日立製作所を定年退職。
ラジオは仕事とは無関係です、趣味ですが、殆ど病気の域に達しているでしょう。
昭和20年代の貧しい時代に育ったので、部品やラジオのジャンクを見るとつい買ってしまいます。
戦後の貧しい時期に少年期を過ごしたためか、ラジオを見ると何でも集めたくなります。
集めてく来ると、何とか修復したくなります。
最近は大きなものは集めないようにしているのですが????。
「ラジオ工房」は平成5年に自宅を新築した際、収納場所と工作室として一階に作りました。
12畳の広さが有るのですが、ジャンクで埋まり畳半分の空きスペースさえありません。
最近では通路にまでラジオが置いてあるので、大変です。
雨の日は工作室に入れません。
「晴耕雨読」ならぬ「晴工(晴れた日はラジオ工作)雨読(雨の日はパソコン)」状態です。
真空管ラジオは比較的簡単に修理できるし場所をとるので、最近はBCLラジオの修理に挑戦しています。
メーカー毎に異なる設計思想で作られていて、カスタム部品も多く、さらに回路図無しで修理すると中々骨があります。
単に受信できるだけでなく、新品に近い受信機能に復元するのが、楽しいです。
そういう意味で、最大の楽しみは最後の仕上げ(調整)でしょう。
でも修理できるのはシンクロで回路が追っかけられる時代のラジオまでで、LSIやチップ部品が多くなる薄型のBCLラジオはお手上げです、残念。
同病(ラジオ好きの仲間)を増やそうと布教活動??をしています、余り近づくとラジオ病に伝染しますよ!。
昭和34年ころのべリカード 当時はJA6YADのコールはおりていなかった。
昭和36年撮影 九大工学部本館
平成20年撮影 九大工学部旧本館
2005年2月7日
radiokobo-all